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新世紀陰陽伝セルガイア

第一話~運命の歯車~


「お~ば~ちゃん! これくださいっ!」 


 ――2005年、鎌倉郊外。 とある古本屋に元気いっぱいの声が響きわたった。 その少年が手にした一冊の本はもしかするとこの時すでに、彼の運命を決定付けていたのかもしれない……。 

 これは、世界の存亡をかけて戦った、 一人の少年の物語である……。


第一話~運命の歯車~


◆ とある民家にて

 
「うわぁ!!」 

 
 その日、少年は自宅の布団で跳ね起きた。昨日見た夢があまりにも衝撃的だったからだ。 

 少年の名は八神炎(やがみえん)。13歳の中学2年生だ。少々気が弱い、どこにでもいるような少年だが、彼には一つだけ特性がある。……幽霊が見えるのだ。しかし見えるというだけでありどうこうできるという訳でもない……。彼はそんな自分を情けなく思いつつも、いつか必ずその特性を世のため人のために活かしたい。そう思っていた。 

 そんな少年が見た昨日の夢は、幽霊よりも凶悪な“魔物”と呼ばれる存在を不思議な刀で叩き斬り人を救う……というものだった。 

 その衝撃的、かつ、自分の特性が人を救ったという高揚感から飛び上がるようにして目覚めたのだった。 

「え……⁉ 夢? ……だったの?」 


 しかし、すぐに彼の脳裏をある疑問がよぎった。それが夢とは思えぬ程にリアルだったことである。……魔物を斬った感触までその手に残っている感覚がある……。形容しがたい不思議な気持ちに包まれる中、彼はふと枕元の時計に目をやった。 

「ヤバっ! 遅刻だ!」 


 彼は慌てて身支度を整えると学校に向かって駆け出した。日課である、道中交通事故などで亡くなった霊たちに手を振り、あいさつしたりしながら学校へとひた走った。

 時は2012年4月。外には桜が舞っていた――。 


◆ 学校にて 

 
 鎌倉市立第三中学校、2年B組授業中。 今日もまた何気ない日常が過ぎ去っていく。 

 真面目に授業を受ける者、友達とふざけあって過ごす者、居眠りする者。どの光景も何ら変わりなく、いつも通りに過ぎ去っていく。ただ、少年エンには一つだけ普段と違う感覚があった。やはり昨日の夢は夢とは思えない……。だがそんな違和感も時が経つにつれ薄れていき、彼も日常へと引き戻されていった……。 

  
 そんな授業中、そのエンは教科書で隠すようにとある雑誌を眺めていた。 


「ぇ~っとそれじゃぁ、八神くん! ここ読んでくれる?」 


「ぇ、あっ……はいぃ!」 

 
 エンは突然の問いかけにすっくと立ち上がり、目の前の文章を読み上げた。 


「これでおわかりでしょう、かの大震災を鎮めたのは、何を隠そうこのナイトメアバスターズだったのです!」 

…… 

………… 

……………… 


 教室の中に一瞬の静けさが訪れ、それはすぐさま笑いの渦となり押し寄せた。 


「はっはっは! 八神、何だよそれ!」 


「またやったなお前! はっはは!」 


「あはははは!」

 エンは今まで手にしていたその雑誌をそのまま読み上げてしまったのだ。 

「ご、ごめんなさ~い!」 


「はははははは!」 

 
 教室中を笑い声が木霊する。 だがこれもまた日常の光景だった。 


「まったく八神くんは……。はい、それ没収ね」 


「⁉ 先生、後生です! これだけは、これだけは勘弁してください…!」 


「ダ~メ。渡しなさい」 


「そんなぁ~!」 


「ははははは!」 


「ふざけないで、アナタのために授業時間が削れちゃったじゃない! ……渡しなさい」 


 素直な性格の彼は、普段ならすぐに手渡していただろう……。 しかしこの日の彼は珍しく抵抗を見せた。 


「先生……これだけは……これだけは本当に勘弁してください! 大事な……僕の宝物なんです‼」 


「言い訳は聞きません、渡しなさい」 


「嫌です!」 


「渡しなさい」 


「嫌です‼」 


「渡しなさい‼」 


「イヤです‼‼‼」 


「八神くん!」 


 突然、誰かの声が二人の会話を遮った。 それはエンが密かに想いを寄せる女の子、夜野鈴音(よるのすずね)だった。 


「夜野さん!」 

 
 突然割って入ったその声にエンは救われた気持ちになった。彼女はいつも、トラブルに見舞われるエンを温かく見守り手を差し伸べてくれていたからだ。ところが今回の彼女は違った反応を見せた。 


「八神くん、素直に渡してください」 


「そんなぁ……」 


「ははははは!」 


 しきたりやルールを重んじる彼女にエンの訴えは通用しなかったのだ。 希望が儚くついえたエンは渋々その雑誌を教師に手渡した。 


「放課後取りに来るように」 

 
 その直後、授業終了を知らせる鐘が鳴る。 


「あーもう! 授業終わっちゃったじゃない! ……しょうがない、ここ宿題ね。明日までに読んでくるように」 


「はぁぁ? ふざけんなよ八神……」 


「死ねよマジで……!」 


 こうして校舎に放課後が訪れるのだった……。 


「八神くん、申し訳ありませんでした。どうしても目をつむれなかったもので……」 


 帰りの支度をしていたエンに、スズネが語りかけてきた。 

  

「あ、夜野さん……。いや、僕がいけないんだ。」 


 宝物は没収されてしまったが、こうして優しくフォローしてくれるスズネの優しさにエンはまた救われる。こんなことがあるからいじめも耐えられるし、こんなことがあるから更に彼女を好きになってしまうのだ……。
 その時だった。 


「おーい八神ぃー、帰ろうぜー」 


 何者かが呼ぶ声がした。 クラスメイトの、姫矢舞人(ひめやまいと)である。 いつも通りのこの声も、エンの心を和ませる。 

 彼はエンの唯一の親友だ。 いわゆる優等生タイプの彼が友達であることも、日頃受ける誹謗中傷を笑い飛ばせる理由の一つだった。 彼もまたスズネ同様、エンにとって日々の心の拠り所であり救いだった。 ただ、スズネが彼の”許嫁”という事実を除いては……。 

 だがエンは似合いのカップルである二人の関係を羨ましく思いつつも、決して恨むことはしなかった。 仲のいい二人を見ているだけで、エンも幸せに感じることができた。 それにエンは、スズネが自分には到底届かぬ高嶺の花だと割り切っていたのだ。 

 マイトの呼びかけに答えるように足早に支度を済ませると、エンは学校を後にした……。 


◆帰り道 


 二人の家は鶴ヶ丘八幡宮付近にある学校から少し離れた場所にある。 鎌倉駅から江ノ電に揺られ長谷寺(はせでら)の駅で下車。湘南の海を横目に暫し歩くのだ。 

 海岸特有の潮の香り、沈みゆく夕日が彩る陰影、潮騒の音……。そして桜舞う四月の街並みが二人の心を穏やかにし、親友同士の会話に花を咲かせる。 


「キレイだね~、桜」 


「あぁ、そういえば明後日はもう桜祭りか……。一年って早いな」 


「だね~」 


 そんな会話の中、マイトがあることを切り出した。 


「なぁ八神ずっと気になってたんだけど、いつも持ち歩いてるその本、いったい……何なんだ?」 


「あぁ、これのこと?」 


 エンは鞄から例の本を取り出すとマイトに語り始めた。 


「月刊オカルティカ。昔出回ってたオカルト情報誌なんだけど……聞いたことない?」 


「さぁ?」 


「そうだよね……。当時は期熱狂的なファンもいたらしいんだけど、最新号が販売中止で回収されちゃったんだ……」 


「何で?」 


「わっかんない。でもさ、行きつけの本屋のおばさんが僕のために一冊取っておいてくれたんだ! その回収された最新号がまさにこれ!」 


「なるほどなぁ。確かにそんなレアなもん持ってたら宝物にもしたくなる」 


「あ、でも理由はレアだからじゃないんだよ」 


「え?」 


 実の所エンがその本に惹かれたのは、珍しさ故ではなかった。 その本に書かれていた❝内容❞こそが、宝物と言わしめる由縁であった。 


「去年大震災があったでしょ? 実はこの本によると、あの原因は地下に住む❝大ナマズ❞が暴れたからだったんだって!」 


「……そうなのか⁉」 


「それでその大ナマズを鎮めたのが、この本の表紙を飾ってる陰陽師の二人組❝ナイトメアバスターズ❞だったんだって!」 


「ああ! ナイバスか! でもあの地震以来テレビでも全然見なくなっちゃったな……。」 


「そうなんだよね……。でも僕、この本に出会って以来この二人に憧れちゃって! 今日も人知れず心霊現象から皆を守るために戦ってるヒーロー! カッコいいよねー‼ だから僕もいつか陰陽師になって、ナイバスの一員として皆を守るヒーローになりたいんだ!」 


 幼い頃に手に入れたその本は彼の人生を大きく揺れ動かしていた。他人から見れば現実逃避としか思えないような内容でも、日頃辛いことばかり体験してきたエンにとっては憧れの対象として映っていた。 


「なるほど……! 八神は幽霊が見えるんだもんな! 自分を活かせるいい道かもしれない」 


「だよね! あぁ~……いつか会いたいなぁ」 


 そしてマイトは現実離れしたエンの話を決して否定などしなかった。幽霊が見えるというエンの事を昔から信じていたからだ。マイトはそっとエンの肩に手を置くと、「応援してる」とつぶやいた……。いつの間にか二人の家が近づいていた。 


 マイトと別れたエン。一人とぼとぼと歩いていると突然物陰から声がした。 


「おい、八神」 


 驚くエンが声のする方に目をやると見知った人物が現れた。 同級生のいじめっ子、桐谷(きりや)達三人組だった。 


「あぁ。キリヤ……」 


 するとエンはあることを思い出す。昨日のあの『夢とは思えぬ夢』の中でエンが助けた人物こそ、この三人組だった。エンはあれが本当に夢だったのか改めて確かめてみたくなった。 


「あのさ……昨日あの後……大丈夫だった?」 


「は? 昨日? 何言ってんだお前気持ち悪りっ」 


「やっぱり、夢だったんだ」 


 恐ろしい魔物の手から命を救ったはずのキリヤから感謝の言葉は出なかった。それどころか昨日は何もなかったかのような口ぶりである。生まれて初めて念願叶い❝他人のために自分を活かせた❞という思いから、心のどこかで夢が現実であることを望んでいたエン……。しかし、そうではないと知り落胆するエンに追い打ちをかけるようにキリヤは彼をいびり始めた。 


「ところでほら、カネ出せカネ」 


「ちょ、ちょっと待ってよ! 僕もう無いよ!」 


「あぁ? いつも出してんだろ」 


「だから……無いんだよ」 


「なんだよ、逆らうのか?」 


「……だって……」 


 次の瞬間だった。 

 
 バコォ! 


 鈍い音が響きエンの体は宙を舞った。 キリヤが殴りつけてきたのである。 

 尻餅をつくエン。 


「痛ぁっ……」 


「はっ! 逆らいやがって。……本当に持ってねーのか確かめてやる。おい!」 


 そう言うとキリヤは取り巻きたちに指示を出し、エンのカバンをあさらせた。 すると……。 


「アニキ、こんなもん見つけたぜ」 


 取り巻きが見つけたのは❝月刊オカルティカ❞だった。 


「あぁ、宝物とか言ってたあれか。お前マジキメーな。……へっ丁度いいや」 


 そう言うとキリヤはニヤリと口の端を傾けた。 


「おい、お前この本とカネ、どっちが大事だ」 


「えっ⁉」 


 そう、キリヤは雑誌を人質に取ったのだ。 


「カネ出さねーと破くぞ」 


「いや、本当に無いんだって‼」 


「破くぞ」 


「無いんだもん!」 


「破くぞ‼」 


「無いんだって‼」 

 

 そして遂に

 

ビリビリッ!


「あっ!」


 無惨にもオカルティカは破られてしまったのだ……。


「そんなぁ……」


「へっへっへ……」
 

 エンが目に涙を浮かべたその時だった! 


「やめろっ‼」 


 マイトだった。 エンの声を耳にして駆けつけたのだ。 


「ヤベっ! マイトだ! 逃げろ‼」 


 そう言うとキリヤ達はそそくさと退散していった。 


「大丈夫か八神っ‼」 


 マイトはヘタレ込むエンを抱え起こした。 


「マイト……こんなんじゃ僕……到底ヒーローになんかなれないね……」 


「八神……」 


 やりきれない思いの中、辺りは夕闇に染まり始めていた……。  


◆鎌倉市内・某所


「ただいまー」 


 発したその言葉とは裏腹にこの日彼がたどり着いたのは自宅ではなかった。 八雲神社、 彼はそこにいた。 悲しいことや辛いことがあると、エンはいつもそこに行く。 それは、自宅に帰る事では決して得られない安心感を得られる人物か居るからだ。 


「ばっちゃー! 久しぶり!」 


「ぉお~、エンか! 久しぶりじゃのぉ。どうした、こっちに来なさい」 


 この神社の尼僧、八雲(やくも)である。 

 地元の人間からは霊媒婆さんとして知られ一部の人間から薄気味がられている。エンはそんな八雲のことを『ばっちゃ』と呼び慕い、この神社に昔から足しげく通っていた。 

 ここに通うことがまた一つ彼がいびられる理由の一つでもあるのだが……。たとえ他人に軽蔑されようともこの場所にはエンが通うに値する利点があったのだ。 

 と言うのも、エンは幼い頃に自分の両親を亡くしておりその後血の繋がらない母親のいる母子家庭で育った。 義母の生活ぶりは実にふしだらで、彼がどんなに愛を求めても❝暴力や暴言❞という答えでしか返ってこないのだ。 しかも、帰ったところで必ず彼女が居るとは限らない。水商売の彼女と共有できる時間などは殆ど無いのである。 

 寝泊まりするだけの自宅……。 帰りたい場所ではなかった……。 

 だから彼はここにいる。 ヤクモであればどんな事でも頷き微笑み聞いてくれるからだ。 

 エンは先ほどの出来事をありのまま話した。 


「そうかぃそうかぃ、それは大変だったねぇ。まずそんな泥だらけじゃしょうがない、ひとっ風呂浴びてきなさい」 


「うん……」 


 それにヤクモ自身も、エンを自分の息子のように慕っていた……。 


◆暫くして
 

 風呂から上がったエンは、まるで小さな子どものように「物語を語ってほしいと」八雲にせがんだ。いつも彼女が語ってくれる”おばけ”や”妖怪”の話は、彼の心を俗世のしがらみから解放してくれるものであり、元気を取り戻すにはどんな慰めの言葉よりも一番効力があったからだ。 

 ……ところが、この日彼女はそれを拒んだ。 


「エン……。おぬしももう中学二年生じゃろ? いつまでもワシに甘えておってはいかんよ」 


「そう……だよね。ワガママ言ってごめん」 


「すまんの……。そうじゃ、その代わりと言ってはなんじゃが、今日はオヌシに特別な贈り物をしてやろう。よいか……ワシの秘術を伝授してしんずる」 


「……え⁉」 


 ヤクモは幽霊が見えるというエンの特性と、それを世のために活かしたいという思いを知っていた。以前からいつしか自分の技を継承したいと考えていたのだが、久しぶりに訪れたエンを見て今日がいい機会だと思ったのだ。 

 本物の霊媒師から、ついに秘術を知ることができる……。 思ってもみない切り返しに、エンは浮足立つ。 そして八雲は、厳かに語りだした……。 


「よいか、今日はお主に❝神言波❞を伝授する」 


「しん……ごん……は?」 


「魔物や悪霊に直接攻撃できる大技じゃ」 


「ぇえ⁉ そんな凄いのいきなり⁉ なんか色々すっ飛ばしてない!?」 


「はは、そうじゃなぁ。じゃが、ワシも一度今のオヌシの霊力がどれ程のものなのか、ここでひとつ確かめてみたいんじゃ」 


「……そっか」 


「よいか、これからワシがする事、話す事は他言無用じゃ。まずは、よく見ておれよ……」 


「うん、わかった」 


 そう言うとヤクモは静かに目を瞑った……。
 そして次の瞬間……エンは凄まじい光景を目の当たりにする! 


「アビラぁっつ‼ ウン! ケン‼ ソワカーーーー‼‼‼」 


 八雲は呪文を唱えると自らの前方に眩い円形の光を形成させた。そして、その中心から凄まじい勢いで光の玉が発射され辺りに爆音が轟いた! 


「えぇっ⁉ 何これーーーーーーー⁉」 


 想像の遥か上をいっていたその大技に、エンは度肝を抜かれた。 そしてその余韻を残しつつ辺りを舞う粉塵の中、再びヤクモが語りだした。  


「どうじゃ? 凄いじゃろ?」 


「……凄い。凄いよばっちゃ‼ 凄すぎる‼」 


「そうじゃろそうじゃろ? では、次はオヌシの番じゃ」 


「え⁉ いきなり⁉」 


「大丈夫。横に付いて教えてやるから、マネしてやってみぃ」 


「わかった」


 今まで幽霊を❝見る❞ことしかできなかったエン。もしこの❝真言波❞を使うことができれば、いよいよ霊に対抗する力を手にすることができる……。そうなれば昨日の夢のように今度こそ本当に人助けができるかもしれない……エンはこの状況に興奮を覚えていた。しかしいきなりの大技である。はたして自分にできるものなのか……。自信はなかったがエンは鼻息交じりに立ち上がると、ヤクモの言う通り試してみることにした。  


「まず、腹に力を込めて精神を集中させる……」 


「こう……かな……」 


 エンは言われた通り腹に力を込めると、呼吸を整え眼を瞑った。 


「次に、両手の人差し指と中指を突き立て前方を指しながら体の前で交差させる」 


「交差……させる……」 


「そうじゃ……。そしてそのまま両手で大きな円を描きながらこう唱えるのじゃ。アビラ! と」 


「よし……アビラァッ!」 


 すると! なんとエンが回した腕の軌跡をなぞるように円形の光の筋が現れたではないか! 


「ば、ばっちゃ! 僕、できてる! できてるよ‼」 


「す、凄いぞエン! よしこのまま気を抜くでないぞ!」 


「う……うん!」 


 エンはさらに精神を研ぎ澄ませる。 


「その輪の中心に、光の玉があるじゃろぅ」 


「うん!」 


「それを❝ウンケン❞と唱えながら、思い切り引っ張れ! あとはパチンコの要領で放せば玉が飛んでいく!」 


「分かったよ!」 


 エンは力一杯に光の玉を引っ張った! 


「ウン! ケン!」 


 ……ところがだ、どんなに力を込めてもその玉を引き出すことができず、勢い余って尻餅をついてしまった! どうやら今のエンには、これが限界だったようだ。 


「ばっちゃ、やっぱり僕にはまだ無理みたい……」 


「そうじゃな……。やはりオヌシにはまだ早すぎたようじゃ。ははは」 


「ははは」 


 とはいえ、まさか自分にこんな魔法のような事ができるとはつゆとも思っていなかったエンは、驚きを隠せなかった。そしてそれはヤクモも同じであった。まさか初めてでここまでできるとは……。あまりの驚きに、二人は思わず笑い合った。 

 とそんな中、ある音が二人を一気に現実に引き戻した。 


『ぐぅ~……』 


 エンの腹の音だった。 


「ははっ、なんじゃエン、オヌシ腹ペコか?」 


「ちょっと集中しすぎたみたい……」 


「そうかそうか、そしたらほれ、お小遣いじゃ。これでおいしいもの食べてきなさい」 


「え⁉ ばっちゃ! いいの⁉」 


「おお! たらふく食べてきなさい」 


「ありがとう‼」 


「うむ、また来て練習するといい。オヌシならきっといつかできるようになるじゃろて……」 


「分かった! 僕、必ずものにして見せるよ!」 


「うむ、その意気じゃ!」 


 こうして、夢の時間を過ごしたエンは八雲神社を後にした。 そして、暗がりに消え行くその姿を見送りながらヤクモは一人呟いた……。 


「あヤツ……或いはワシの見込み以上やもしれん……」 


◆蕎麦屋❝陰陽庵❞


 ところ変わって、ここはそば屋❝陰陽庵❞ 。鎌倉市内にあるエンの行きつけの店である。 

 二人の男が経営するこの店は、巷で話題になるほどの評判の良い店として有名だ。 そんな店にエンは幾度も訪れた。 家に帰っても、食事も、食卓を囲む人もいないからである。 


「こんばんわー」 


「いらっしゃ……! おぉエンか! 久しぶりだな。待ってな、すぐ作るから」 


 出迎えたのはこの店の店主である。 

 三十代後半の男だが、スマートで実年齢よりも若く見える好青年だ。そのためか、この店は根強い女性のファンも多く獲得している。 


「おーい! エンが来たぞー! いつものヤツ頼むー!」 


「あいよー‼」 


 店主は厨房の男に指示を出すと、エンと共に店内のテーブルに腰掛けおもむろに語りかけた。 


「……お前、最近全然来なかったよなぁ。何かあったの?」 


「あ……いやぁ実は……」 


「待て。当ててやるよ」 


「え⁉」 


「……カツアゲされて一文無し」 


「………」 


「お、その反応は……図星だな?」 


「……。もー! せっかく美味しいそば食べて忘れようと思ってたのに‼」 


「あー! 悪りぃわりぃ! まさか当たるとは思ってなかったからさ! ……しかしそれならそう言ってくれればいいのに。たまにだったらタダで食べさせてやるのに……」 


「いやいやそんな! 申し訳ないよ」 


「全く、お前そういうところしっかりしてるよな」 


 そんなやりとりをしていると厨房からもう一人の男が現れた。この店の調理人である。 

 店主と同い年の男だが、対照的に体格が良い。パラパラと疎らに髭を生やし、重ねた年齢を上回るような風格を漂わすダンディーな男である。 


「はは! 楽しそうだなお前ら。…はいお待ちどさん。いつもの❝きつね❞にお揚げ一枚オマケしといたぜ」 


「え⁉ ……なんかすいません。ありがとうございます!」 


「いいってことよ。」 


「それじゃ遠慮なく……いただきまーす!」 


 ズルズルと無造作な音を上げそばをすするエン。 久々に味わう美味しさと店の二人との会話に心底ご満悦だった。 ……すると突然。 


 ガラガラガラ


 勢いのある音と共に店の戸が開いた。 立っていたのは親友マイトだった。 


「八神! やっぱりここだったな」 


「え⁉ マイト⁉ どうしたの⁉」 


「いやな……ちょっとお前に頼みがあって」 


「え?」 


「悪いけどちょっと付き合ってくれないか?」 


「う、うん、わかったよ。ちょっと待って」 


 そう言うと一気に汁を飲み干すエン。 ごちそうさまの声を残し、マイトの後を付いて行った。 


◆古寺の墓場 


 マイトはエンを自転車の後ろに乗せ、とある場所へとやって来た。 


「よし、着いた……」 


 そう言うと自転車を止めるマイト。 その背後で、たどり着いた場所を見たエンは眉をひそめた。 


「え……こんな所に……用事?」 


 マイトがつれてきた場所、そこは古めかしい墓石が無造作に並び立つ❝墓地❞だった……。 


「マイト……何で……こんな場所に?」 


「いや、ちょっとお願いがあってさ」 


「……え?」 


「実はこの前、スズネから貰ったハンカチをここで無くしちゃってさ……。明らかにここで落とした筈なのに見つからなくて……」 


「そ、それで……?」 


「頼む!それを、お前の霊感で探し出してくれないか?」 


「なるほど……」 


 マイト曰く、ハンカチをここで無くしたのは確実らしい……。しかし、自身で探しても寺の住職に確認しても、その後見つかることはなかったのだと言う。 そこでマイトは、試しにエンの特殊な力を借りてみようと思い立ったのだ。 またこれは親友として、エンには霊感があるという事を信じていた証拠でもあった。 


「うん……分かった!自信はないけど、やってみるよ」 

 
 親友の頼みとあっては断れない。それに、自分の特性を人のために役立たせることができるかもしれない……。浮足立つエンは懐中電灯を受け取ると、マイトと共に闇の中へと踏み出していった……。 

 街から離れたこの場所に響く音は、うっそうと生い茂る木々のざわめきだけ……。 辺りに広がる光景は、手入れも行き届かず苔むす墓石。雨風に晒され朽ち果てた卒塔婆……。 恐ろしい雰囲気の中を、一歩ずつ 、奥へ…… 奥へと…… 二人は進んで行った。 

 ところがハンカチは一向に見つからない。 エンはマイトの望みを一刻も早く応えたい気持ちと裏腹に、正直なところ自分の霊感をどう活かしていいものか分からずにいた……。 

 ……どれほど経っただろうか。 ふいにマイトが口を開いた。 


「なぁ八神、わざわざこんな時間に連れてきたのには訳があってさ……。幽霊に聞いてみる……なんてできないかな……」 


「あ、そっか!」 


 そんな会話をしていると、突然エンの背後に冷たい風が通り抜けた。 


「⁉」 


 背筋に悪寒が走り振り向くエン。 すると、背後の墓石がほんのりと光を放っていた……。 


「……もしかして……」 


 エンは淡い期待とともにその墓石に近づいた。 


 ……シク……シク…… 


 すると突然、何者かのすすり泣く声が聞こえてきた……。 エンはすぐさまその声のする墓石の裏側に回り込む。 ……するとそこにはうずくまる一人の女性がいた。 


「あの~、お姉ぇさん……どうしました?」 

 
 エンの問いかけにその女性は顔をゆっくりと持ち上ると語りかけてきた。 


「ミツカラナイノ……」 


「……え?」 


「ミツカラナイノ……」 


「大丈夫ですか……?」 


「ミツカラナイノ……」 

 同じ返答しかしない女性が心配になり、エンは彼女に近づきしゃがみ込んだ。

 ……すると突然彼女が叫ぶ! 


「ミツカラナイノ……ワタシノ腕がぁあぁアあああ‼」 

……

………… 

……………… 


「やったーーーーー‼ 幽霊だーーーーーー‼」 

 
「ぇえっつ‼⁉」 


 そこにいたのは紛れもなく幽霊だった!  普通なら誰しも驚き逃げ帰るであろうその状況。 しかしエンの意外な反応に、むしろ幽霊の方が驚いた! 


「ちょっとあんた、私が怖くないの⁉」 


「ん~ん! 全然!」 


「えぇ⁉ だってあたし……ほら……幽霊だよ⁉」 


「はい! 知ってます!」 


「えぇえ⁉ し、しかもほら……ぅぅぅ腕が無いのよ‼」 


「……そうですねぇ……」 


「…………」 


 あまりに意外な反応に幽霊は困惑していた。 


「何よアンタ……もしかして霊能者ぁ?」 


「あ、いやそういうわけじゃないんですけど。僕、昔から普通に見えちゃうんです」 


「ぁあ~そう! そうなの……。何よもぉおおーー! 久々にこんな時間に人が来たから思い切り脅かそうと思って気合い入れたのにぃ‼」 


「……しかし大変ですね……成仏できないとこれくらいしかやることなくなっちゃうんですか?」 


「悪かったわね! ……ところでアンタ、何しに来たのよ。今肝試しの季節じゃないでしょ?」 


「いや……実はちょっと探し物をしてまして……」 


「ひょっとして私の腕⁉」 


「ち……違います……。あ、ちょっと待ってください」 


 そこまで話すと、エンはマイトに声をかけた。 


「どうした八神! 見つけたか⁉」 


「あ、ハンカチはまだだけど、ほら幽霊! この人に聞いてみようと思って!」 


「え? 幽霊⁉ どこに……?」 


「いや……ほらここに! ……やっぱり、僕にしか見えないのか……」 


 薄々気づいてはいたが、やはり普通の人間に幽霊を見ることはできないようだ。 落胆するエンだったが、これでマイトの望みを叶えられるかもしれない。 彼は再び幽霊に語りかけた。 


「あの、以前ここにいる僕の友達がハンカチをなくしちゃったみたいなんですけど……この辺で見たりしてませんか……?」 


「あぁ……ああ! あれのことかしら」 


 どうやら幽霊には心当たりがあるらしい。 


「そ、それって今どこにあります⁉」 


「それだったこんな所探してたってダメね。多分今は寺の本堂にあると思うわ」 


「本当ですか! やった!」 


「……あんた……不思議な子ね。いいわ、なんか脅かす気も失せちゃったし、私が本堂まで案内してあげる」 


「あ! ありがとうございます‼」 


 こうしてエンはマイトと共に、幽霊の案内によりハンカチがあると思われる本堂へと向かうのだった……。 


◆本堂前 


「着いたわ……。ここよ」 


 暫く歩くと、幽霊の言う通りそこには寺の本堂が佇んでいた。 かなり古い建物の様で、手すりは色あせ煤け、辺り一面蜘蛛の巣が張り巡らされている。そして人気が一切感じられない……。 辺りの墓石も然り辺り一面時が止まったかのような風格が漂っている。 

 その光景を見たマイトがなぜか不思議そうな表情を浮かべ始めた。 


「マイト、どうしたの?」 


「いや……ここ、こんなだったかな……?」 


 マイトはいつも先祖の墓参りの際、この場所に訪れていた。……しかし、この日の本堂は明らかに普段とは違う様相を呈している。 そんな疑問を解消する意味でも、マイトは足早に本堂に向かって行った。 


「さ、私が案内できるのはここまでよ。結界が張ってあって中には入れないわ」 


「いやいや十分です。本当にありがとうございました」 


「楽しかったわ……気を付けてね……」 


 そう言うと幽霊は静かにその姿を消した。 


「さ~て」 


 エンは一度深呼吸をするとマイトの後を追った。 


◆本堂
 

「おい八神……見てくれ……」 


「どうしたの?」 


 本堂の扉に手を掛けたマイトに再び疑問が生じた。 おかしい。しっかり管理されていなければならないはずのこの扉がいとも簡単に開くのだ。 どことなく良からぬ雰囲気が漂い始めたのだが、二人は急ぎハンカチを回収するべく扉に手をかけるとゆっくりと開いていった。 


ギギギギギギ……


 扉の先は異様な空間が広がっていた。 明らかに人が手入れをしている気配がない。 静かすぎる……。 その静寂さも度を超し、自分たちの耳鳴りの方が際立つ程だ。 その暗闇の中二人は懐中電灯の明かりだけを頼りにハンカチを探した。 ……すると。 


「あった……!」 


 それは心面鏡の前にある❝何か❞を覆い隠すようにふわりと被さっていた。 


「よかった……。八神! ありがとう! ありがとう!」 


「いや、お礼を言うのはこっちだよ! ようやく人のために力を活かせたんだ! ありがとう!」 


「そうだな八神! よかった!」 


「うん! これで一歩ナイトメアバスターズに近づけたかな!」 


 エンは喜びの表情を浮かべつつ、マイト渡すべくハンカチに手を伸ばした。 すると……。 

 
「あれ? ……これって?」 


 どかしたハンカチの下に、エンにとって見覚えのある物が置かれていた。 


「これってもしかして…封印香(ふういんこう)⁉」 


 それは仏具としては逸脱した、近代的かつ派手なデザインの香炉であった。 


「どうした八神⁉」 


「え……いやこの香炉……ナイトメアバスターズのアイテムだよ!」 


「⁉」 


 エンは思わずその香炉を手に取った。「バスターズに近づけた」そんな言葉を発した矢先に見つけたそれは、明らかにナイトメアバスターズが以前ここに来たことを指示していた。 興奮するエン。ほんの少しのだけという気持ちで香炉全体を嘗め回すように観察した。 


「八神……そろそろ帰ろうぜ」 


「うん、でもあとちょっと、あとちょっとだけ見せて!」 


 鼻息交じりに目を輝かせながら香炉を見つめるエン。 するとその時だった……。 


『ブルっ』 


 突然香炉がまるで生きているかのように身震いしたではないか。 


「うわぁっ!」 


 するとエンは驚きのあまり、思わず香炉を手放してしまった! そして


パリーン‼


 あろうことか、地面に落ちたその香炉は音を立てて割れてしまったのだ‼ 


「し、しまった!」 


「八神……これ……大丈夫か?」 


「いや……多分……まずい」 


 すると割れた香炉から突如として煙が立ち込め、マイトの体を包み始めたではないか! 


「え⁉ なんだこれ‼」 


「マイト‼」 


 予期せぬ事態に焦るエン!  するとマイトに異変が襲った! 


ぐぉぉおおおおっつ‼


 突如奇声を発したかと思うと次の瞬間! マイトはエンに襲い掛かったのだ‼  


「うわぁぁあ! マイト! どうしたの⁉」 


ぐおおっつ! 


 再び襲い掛かるマイト! どうやら正気を失っている! 


「うわっつ!」 


 間一髪マイトの体を避けたエンは、本堂の扉に手を掛けた!  ……ところがだった! 


ガタ! 

ガタガタガタ! 


 おかしい! 来るときあんなに簡単に開いた扉がびくとも動かない! 


「くそ! 何だこれ⁉ マイト! やめてよマイト‼」 


「ぐぉぁぁぁぁああ‼」 


 逃げ場をなくしたエンに再び襲い掛かるマイト!  パニックになったエンが今にも泣き叫びそうになったその時だった! 


バーーーーン‼‼‼ 

…… 

………… 


 突然背後の扉が開かれたかと思うと、夜の闇の中に浮かび上がる二つの陰があった。 


「おい! 大丈夫か‼」 


「……え? ウソ⁉ まさか……ナイトメア・バスターズ⁉」 


 そこに立っていたのは紛れもなくエンが憧れるあの二人組の陰陽師、❝ナイトメア・バスターズ❞だった! そしてリーダーの男ハヤトが話しかけてきた。


「おま! 何やってんだこんな所で⁉」 


「ちょっと! 宝蔵院隼人(ほうぞういんはやと)さんに大道寺番(だいどうじばん)さんですよね⁉ やった‼ 会えた‼ 助かった‼」 


 そしてバンと呼ばれる傍らの男も声をかけてきた。


「おい、一体何があった‼」 


 尋ねられたエンは矢継ぎ早にこれまでのことを話した。 すると……。 


「何てことしてくれたんだ!」 


 エンはハヤトに叱責されてしまった。 


「あの香炉には、先月の震災の元凶だった❝大ナマズ❞を封印してたんだぞ!」 


「え⁉」 


 エンに衝撃が走った! そして、雑誌を通して経緯を知っていたエンは、瞬時に事の深刻さに気づいたのだった。 


「すいません、すいません!」 


 バンも声を荒げる。

「あやまって済むか! とにかく、この状況を何とかするぞ!」 


 そして彼が発した一言に動かされるように、ナイバスは事態の終息のため行動を開始した。 


「ハヤトまずいぞ……急いであいつの体から霊体を取り除かないと、強力な邪気にアイツ身が持たなくなる!」 


「ったく何てことしてくれたんだホントに! ……しかたない、バン!もう一度封印するぞ!」 


「おう!」 


 そう言うとバンは持参したアタッシュケースの中から、お祓いに使われる道具❝幣(ぬさ)❞によく似たアイテムを取り出しその柄の先を勢いよく地面に突き刺した! 


「ハヤト! 押さえろ!」 


「おう!」 


 ハヤトはマイトの体を羽交い締めにし、バンの行為を見守った。 


「ハヤト……放すなよ!」 


「分かってる!」 


ううぅぅううう‼


 もがき苦しむマイトを救い何としても凶悪な霊を封じようと、ナイトメアバスターズは呪法を試みた! 


ギュィィィイイイイイ‼


 地面に突き立てた幣は、バンが唱える呪文に呼応するように光を放ち始めた! 


「バン……まだか!?」 


「……もう少しだ!!」 


 その光は地を這いマイトの足下へと滑り込んでいった! バンはマイトの体に入り込んだ霊体を❝封印するための符号❞を見つけようとしていたのだ。 


「くそっ! まだか!?」 


 ハヤトが、霊に取り憑かれたマイトの想像を絶する力に耐えきれなくなったその時! 


「見切ったっ!」 


 バンがそう叫ぶとマイトの体から光が漏れだし、突如空中に三文字の❝梵字(ぼんじ)❞が浮かび上がった! 


「よし‼」 


 そう言うと、ハヤトは腰にぶら下げた香炉を手に取った! エンが壊したそれと同じもののようだ。


カチ……カチカチカチ……! 


 香炉にはダイヤルが付いており、それを素早く回転させていくハヤト。 先ほど浮かび上がった梵字と同じものを揃えれば、香炉の蓋が開いて封印できる仕組みなのだ! 


「よし‼ 揃った‼」 


 そう言うとハヤトは大きく息を吸い込み、体の前面に香炉をかざした……。するとマイトの体から、徐々に徐々にと霊体が姿を現し、香炉の方へと吸い寄せられて行くのだった! 


「す……すごい……」 


 ただただ関心するエンをしり目に、ハヤトは渾身の霊力を込めて霊体の封印を急いだ。 

 ところがだった…。 


「くそ……しぶといな……。」 


 霊体の凄まじい邪気に対し、ハヤトは苦戦を強いられていた。
  一刻も早く霊を封印せねばマイトの身が持たない……。しかし、霊の激しい抵抗によりハヤトは徐々に疲弊していくのだった。 


「ハヤト!」 


 そう叫ぶとバンも加勢し、眩い光を放つ香炉に手を差し伸べた! 


「うぉぉぉぉおおおお」 

 二人は渾身の力を込める!……ところがだった。 二人が霊力の限りを尽くしても、霊は一向に封印される気配がない! ついにはバンも疲弊しはじめ、二人の体力は限界に近づきつつあった……。 


「そんな……ナイバスの二人が……苦戦してる!?」 


その雰囲気を察知したエンの脳裏にあることがよぎった。 


「何とかしなきゃ!」 


 その場にはもう自分以外誰もいない……。それに自分には少なからず霊力がある……。 何かできることがあるかもしれない!そう思ったエンは、咄嗟に苦戦する二人のもとへ駆け出したのだ! 


「おまっ⁉ やめろ! 何してる‼」 


 そんなエンの行動にハヤトは難色を示した。 


「僕、昔から霊力があるんです! 今の僕なら……力になれるかもしれません……!」 


 そう言うと、香炉に向かって手を伸ばすエン。 


「やめろ‼ 余計なことをするな‼」 


 そしてエンがその香炉に触れたその瞬間!その場の全員が叫んだ!


「うわああぁっつ!」 


 雷鳴に似たけたたましい音と共に、なんと一同は香炉から弾き飛ばされてしまったのだ! 

 ハヤトは思わず呟く。


「くそっ!余計な事を……」 

 地面に落下した香炉は暴走し、勝手に霊を吸い込み続けている!  制御の聞かない香炉をこのままにしていては、いずれここにいる全ての者の魂すら封印しかねない! 

 嵐のような風が舞い上がる中ハヤトは香炉に向かって飛びかかった! 


「うををおおおあ!」 

ズザザザ! カチャリ! 


 そして間一髪。ハヤトは、その蓋を閉じることに成功したのだった。 

 ……するとそれまでの光景が嘘のように静まり返り、一同は暫し安堵した。 

 だがそれもつかの間だった!さらなる恐怖が彼らを待っていた!  三人の目の前に、あの大ナマズの霊体が浮かんでいたのである! そう、霊を封印できていなかったのだ! 

ハヤトは思わず呟く。

「くそっ……!」 


 こうなれば全面対決しかない!そう思ったナイバスの二人。 ところが霊は意外な行動を見せた。 一筋の光を闇夜に伸ばすと、何故かその場から立ち去って行くのだった……。 


◆少し経ち 

 呆然と佇んでいたエンが口を開いた。

「やっ……たの……?」 


 そんなエンに空かさずハヤトが切り返す。

「そんななわけないだろ! なんてことしてくれたんだお前!」 


 そう言われるのも無理はない。 念願かなって出会えたナイバスだったが、エンはその力を示すどころか余計なことをしてしまったのだ。 ……そんな中、ふいにバンが声を張り上げた! 


「おいハヤト! 救急車‼」 


 霊に憑依されていたマイトが意識を無くして倒れていたのだ! 


 駆け寄り声をかけるハヤトとエン。

「おい! 大丈夫か⁉」 


「マイト‼」 


しかしバンの言う通りハヤトは意識を失っている。 


「お前……ホントに……」 


「ご、ごめんなさい……」 


「ごめんで済むか‼ とにかくバン! 救急車だ!」 


「お、おう!」 


 バンは携帯を取り出すとすぐさま119番につないだ。 


 暫しの静寂が訪れる。相変わらず目を覚まさないマイトの傍らで涙を流すエン。 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 そんなエンにハヤトが語りかけた。 


「ところでお前、俺たちに詳しいみたいだな……」  


「はい……この本を読んでから、ずっと大ファンで……」 


 エンはおもむろにカバンからあの本を取り出すとハヤトに差し出した。 すると、ハヤトは驚きの表情を浮かべた。  


「なっ⁉ あれは問題があってすぐに回収されたはずだぞ!」  


 エンはハヤトに所持している訳を話すとため息をつかれてしまった……。 


「ところでバン……あの悪霊はどこへ向かった……?」 


「……分からない……」 


 救急車の到着を待つ中二人は対策について話し合っていた。 

 ハヤトがバンに語り掛ける。


「だが急く必要はないか…。奴が本来の力を取り戻すまで恐らく半月はかかる……。次に現れるまではまだ猶予があるな…。」 


「ああ……だがハヤト、それほど悠長なことは言ってられないかもしれない……。もうすぐ……何が始まる?」 


「そうだ‼ 桜祭り‼」 


 ナイバスは焦りの色を隠せなかった……。 

 そんな二人にエンは思わずどういう事かと訳を聞いてみた。ハヤトが答える。 


「大問題だ……。ヤツが力を取り戻す為に必要なのは、負の感情を抱いた人間の魂だ。となれば、多くの人出が予想される桜祭りに、奴は確実に現れる。そして早々に力を取り戻すべく……大虐殺を始めるぞ……」 


「⁉」 


 その通り。かつて大震災を引き起こし世に甚大な被害をもたらした大怨霊。見境なく人を襲うそいつが向かうのはおのずと群衆集う場所となる……。 

そして集団が一気にパニックに陥れば、そうなった人間の魂は負の感情で満たされる。それを悪霊が喰らえば加速度的に本来の力を取り戻すだろう。すなわち二日後始まる桜祭りの会場は、悪霊にとって格好の餌場となる可能性が極めて高いのだ……。 

 エンは改めて自分のしでかした事の深刻さに気が付くと、何度も何度も頭を下げた……。 


「謝ってもしかたない……。とにかくお前は救急車が来るまでここにいて友達を守ってやるんだ……。おいバン! 行くぞ!」 


「おう……。」 


 そう言うと、二人はその場から消えて行った……。 

 エンは意識のないマイトの傍で、ただただ虚空を見つめていた。そしてだんだんとサイレンの音が近づいて来るのだった……。 


◆病室 


 病院に担ぎ込まれたマイトは、相変わらず意識を取り戻すことなくベッドに横たわっていた。 医者の話では原因不明のため治療の施しようがないらしい……。 

 エンはその傍らで手を握り、ひたすら謝り続けていた……。 


「ごめんよ……ごめん……。僕のせいで……」 


 涙を浮かべながらマイトの体に額をつけた……。 すると……。 


「……や……がみ……」 


 なんとマイトは意識を取り戻したのだ! 


「マイト‼」 


 エンは喜び、すぐに医者を呼ぼうと駆け出した! しかしそれもつかの間、突然マイトはベッドから転び落ちると病室の扉に向かって這いずって来た! 


「え⁉ マイト⁉ ダメだよ安静にしてなきゃ‼」 


 エンは急ぎベッドに戻そうと駆け寄るのだが、マイトはその手を拒むと意外な言葉を投げかけた。 


「……行かないと……」 


「……え?」 


「行かないと……!」 


 マイトは、自分に残された力の限りを尽くして再び地を這うように前進し始めた。 


「だ、ダメだよじっとしてないと!」 


「いいや……行かないと……」 


「……え⁉」 


「行って……あの霊を止めないと……!」 


「⁉ マイト……覚えてるの!?」 


「あぁ……全部覚えてる……」 


 なんとマイトは霊に憑依されてから、意識を失っている最中のことも全て鮮明に記憶していた。そして逃げた霊を追いかけようとしていたのだ! 


「マイトだめだよ! そうだ! きっとあの霊に操られてるんだ!」 


「……違うよ……俺の意志だ……何としても行かないと……!」 


「……えぇっ⁉ どうして‼」 


 驚きを隠せないエンに対し、マイトはその真意を語りだした。 


「元はと言えば俺がお前を連れて……あんな場所に行ったのが原因だ……俺の責任だ……。だから……俺が行かないと!」 


「……そんな無茶だよ! その体で!……しかもマイトは霊力が無いんだ! どうにもならないよ! 絶対に無理だよ‼」 


「バ カ 野 郎 ! !」 


「⁉」 


 マイトは、渾身の力でエンを恫喝した。 


「お前……確かナイバスに所属して、ヒーローになりたいって言ってたよな?……なら親友としてハッキリ言うぞ……今のお前には無理だ‼」 


「……」 


「ズバリ言うが、お前がヒーローに憧れる理由は❝周りにちやほやされたい❞からだろ!」 


「!!」 


 図星だった。 今まで自らの夢を❝皆のため❞と言い聞かせることで、存在意義すら感じることのできない自分をなんとか肯定して生きてきたことは確かだった……。 

 自分の能力を活かしてヒーローになることができれば、きっといじめられることもバカにされることも無くなる……そう思っていた。……結局は自分のためだったのだ。 

 エンはその事実を情けなく思いつつも、手に取るように見透かしていた親友の言葉に再び耳を傾けた。 


「いいか、ヒーローってのはな、ただ格好付けて敵と戦い賞賛を得て他人にもてはやされるヤツのことじゃない‼ 本当のヒーローってのはな……ヒーローってのは‼ 『たとえそれが無謀だとしても、❝責任❞を果たそうと必死に戦うヤツ』のことなんだ!」 


「!!」


「だからヒーローは称賛を浴びる! ……だからこそみんなに愛される! ……それが、本当のヒーローなんだ!」 


「マイト……」 


「俺は決してヒーローになりたいとは思わない……それでも、行かないと……。こうなったのは俺の……責任なんだから……!」 


「マイト……」 


 病室の床を這いずりながら部屋の扉に近づくマイトは、とうとうエンを追い越した。 


ズズ……ズズ…… 


 少しずつ進むマイトを背に、エンはうつむいていた……。 そして暫く考えた後突然拳を握ると……


「マイト‼」 


その名を呼んで、マイトを制止した!  


「マイトごめん、僕、間違ってたよ……。これは……これは……『僕 の 責 任』 だ !」 


「……八神!」 


「マイト、僕、行ってくる‼」 


「八神……」 


「僕にあの霊が止められるかは分からない。分からないけど……行くべきはマイトじゃない……僕だ! だから……行ってくる!」 


 そう言うと、エンは素早く身を翻し駆けだした! 


「八神……よく言った……」 


 遠のいていくエンの背中を見つめながらそう呟くと、マイトは再び意識を失った。 

 
◆鎌倉市内某所 


 エンは、がむしゃらに、ひたすらに走っていた。 そして、彼がたどり着いたのは八雲神社だった……。 

 エンは勢いよく社の扉を開くと、大きな声でこう叫んだ! 


「ばっちゃ!僕に……。僕にアビラを教えて‼」 


 猶予は2日……。 果たして彼に悪霊による大虐殺を止めることができるのだろうか……。 
 こうして彼の運命の歯車は、大きな音を立て回り始めたのだった。 


 つづく!!

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