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新世紀陰陽伝セルガイア

第九話~美味しさの魔法~

前回のおさらい

 ❝サヨの石鹸❞と呼ばれた都市伝説に隠された真実を突き止め、見事事件を解決したナイトメアバスターズのハヤト。彼は現場から立ち去る際、住人の男に一枚の特殊な❝せんべい❞を手渡した。その後それを食した男は、事件に関する記憶を失ってしまった。
 人知れず悪夢を晴らす男達……。これこそナイトメアバスターズの❝やり方❞だった……。


第九話~美味しさの魔法~


◆煎餅屋・亀屋にて

 これは、かつての出来事だ。とある煎餅屋の息子が寝室で父親に寝かしつけられ、昔話を聞かされていた……。

 ――むか~し昔あるところに、正直者のおじいさんとおばあさんがおりました。二人は毎日まいにちせっせと働き、貧しいながらも幸せそうに暮らしておりました。
 ある日、おばあさんが病に倒れ、おじいさんはたった一人で畑仕事をしなければいけなくなってしまいました。
 広い畑を一人で耕すのは一苦労。それでもおじいさんは、おばあさんの薬を買うお金を稼ぐために一生懸命働きました。


「おじいさん……ごめんなさいね……」


「なぁにこれしき。今年は豊作なんじゃ。もうすぐ薬を買ってきてやるからのぅ」


 おじいさんは収穫の日を待ちわびながら、せっせと働き続けました。

 そんなある日の事でした。おじいさんがいつものように畑に向かうと、実っていた作物が全て刈り取られておりました。


「……なんという事じゃ」


 おじいさんは涙を流しながらトボトボと家に帰ると、その事をおばあさんに話しました。するとおばあさんはおじいさんを気の毒に思い、励まそうとこんな話しをして聞かせたのです。


「おじいさん。この村の裏山に❝お金のなる壺❞が祭られた祠があるという言い伝えがあります……。その壺は困っている人に富を授けるという話です。もしその話が本当なら……おじいさん、その壺に頼ってはみませんか?」


「ははは、そんな話は迷信じゃよ。きちんと働くからこそお金になる。ありがとなぁおばあさん、わしを励ましてくれて。他の仕事で稼いで来るからの……」


 その日からおじいさんは、山で薪を集める仕事を始めました。

 そんなある日、おじいさんは仕事に夢中になるあまりいつの間にか日が暮れ、辺りは暗闇に包まれてしまいました。


「いかんいかん……はやく帰らねば」


 そう言って歩みを早めるおじいさんでしたが、どうやら道に迷ってしまったようです。


「はて……もうすぐ村に着くはずなんじゃが……」


 ところが村には一向に辿り着きません。おじいさんはだんだんと怖くなりましたが、仕方なく山で一夜を明かそうと、近くの切り株に腰を下ろしました。すると……


「はて……なんじゃあれは?」


 一息ついたおじいさんがふと目線を上げると、そこにはぼんやりと光を放つ祠がありました……。


「もしやここは……」


 おじいさんはおばあさんの話を思い出し、試しに祠へと入ってみることにしたのです。……するとそこにはおばあさんの言う通り不思議な形の壺が祭られておりました。

 朝になり、おじいさんはその壺を持って家に帰りました。おじいさんは夜の事をおばあさんに話すと、おばあさんは「きっと神様が導いてくださったのです」と言いました。そしておじいさんに壺の蓋を開けさせました。

 すると壺の中には、何やら黒くにごった水が入っておりました。中にはお金が入っているのではないかと少し期待していたおじいさんでしたが


「おばあさん……やはり迷信じゃよ。お金はしっかり働いてかせぐからの」


 そう言って静かに壺の蓋を閉じました。ところがそんなおじいさんにおばあさんは言いました。


「いいえ間違いありません。やっぱりそれは❝お金のなる壺です❞。おじいさん、ちょっとその中の水を舐めてみてください」


 おじいさんはおばあさんの言っているとこがよく分かりませんでしたが、言われた通りにその水をすこし舐めてみました。すると……


「これは! 何と美味い‼」


 そう、それはただの水ではなかったのです。


「おじいさん。私が昔、私のおじいさんから聞かされた話は本当だったようですね」


「それはどんな話なんじゃ?」


「はい。その水はどんな人でも❝美味しいと感じる❞不思議な水なんです」


「なんと!」


「おじいさんこうしましょう! その水をタレにして❝お煎餅❞を作るんです。そうすればきっと沢山の人が気に入って買ってくれます! それはいつか大きな富になりましょう」


「そうか! それは名案じゃ! おばあさん、ワシはやってみるぞ! 神様ありがとうございます」


「しかしおじいさん気を付けてくださいね。その水を口にしていいのはたった一度だけだなんだそうです」


「ほう……どうしてじゃ?」


「その水を直接飲み過ぎると人はあまりの美味しさに心を奪われその身を滅ぼしてしまうという話です」


「……確かに、ワシは生まれてこのかたこんなに美味しいものを口にしたのは初めてじゃ! 先ほどから、出来る事ならこの水を飲み干してしまいたいと思っておったぞ! う~む……ならばこうしよう! ワシは何とかこの味を真似してタレをこしらえてみる! そして、おばあさんの言う通り煎餅に塗ってたくさん売るぞ!」


「それは良いですねぇ!」


 それから数日後、おじいさんは見事タレを完成させると町で煎餅を売り始めました。するとお煎餅は飛ぶように売れ、❝泣く子も喜ぶ美味しい煎餅❞と呼ばれてたちまち繁盛したのです!

 ……幾日か経ち、その噂を聞きつけて一人の老人がおじいさん達の煎餅屋の前にやって来ました。


「(なんじゃい! 幸せそうにしやがって! 畑から盗んだ作物ももう売りつくしたしな。爺さんから儲かる秘訣でも盗んでやるとするか‼)」


 それは、おじいさんたちの家のそばに住んでいた、意地悪じいさんでした。
あの時豊作だった畑から作物を盗んだのはこの意地悪じいさんだったのです・・。


「おいじいさん! そうとう繁盛してるみたいじゃな!」

「ええ、おかげ様で有難い事です」

「じいさんや……ちょっくらワシにも儲かる秘訣、教えてくれんかの?」


「はいはい、それは一生懸命働くことです」


「綺麗事を言うでない! 突然繁盛しおって……何か秘訣があるんじゃろ?」


「はいはい、でしたら一つだけ教えてあげましょう。ワシは神様から❝金のなる壺❞を授かったんです」


「何じゃと⁉」


 それを聞いた意地悪じいさんはその晩おじいさんたちの煎餅屋から壺を盗み出すと、シメシメと言わんばかりにその蓋を開けてみたのです。すると……


「あのじいさん嘘付いたな! 金なんか入っとらんじゃないか‼」


 怒った意地悪じいさんでしたがその水を舐めてみると……


「これは美味い‼」


 そう言うとその美味しさに憑りつかれたかのように、今度は両手で水をすくって飲み始めたのです。


「美味いぞ美味いぞ! 何と美味いんじゃ!」


 無我夢中で水をすする意地悪じいさんでしたが……


「何じゃこれは……一向に水が無くならないではないか……」


 そうです、その水は壺の中から永遠と湧き続けたのです。


「も……もうよい。満腹じゃ……」


 しかしそのあまりの美味しさに、意地悪じいさんは水を飲み続け、ついに腹が膨れて死んでしまったのです……。

 実はあの壺は呪いの壺でした。しかし正直じいさんは持ち前の人の好さで呪いに惑わされずに済んだのです。
 その後正直じいさんは町一番の、いや、国一番の煎餅屋として大金持ちになりました。おばあさんもすっかり元気になり、ふたりはいつまでも仲良く暮らしましたとさ。めでたし、めでたし……。


……
…………
………………

「父ちゃん! そんな昔話、オレ初めて聞いたよ‼」

「そうだろ~? これはこの家に代々伝わる特別な昔話なんだぞ!」

「そっか! ……ねぇ、これって本当の話なの?」

「どうだろうな……でも俺は信じてるぞ! だってその壺、本当にあるんだからな!」

「そうなの⁉ ……あ! だから父ちゃんの作る煎餅は世界一美味しいんだ‼」

「ははは! ありがとな。でも……俺はその壺の水なんか使ってないぞ! だってこの話は、その壺を見つけても使っちゃいけないって教えなんだから」

「……え? じゃぁ……どうして父ちゃんの煎餅はあんなに美味しいの?」

「はっはっは。 いいか? 父ちゃんはな……❝美味しさの魔法❞を知ってるんだ!」

「美味しさの……魔法? それって何なの⁉」

「ははっ! いいか……それはな……」


◆現在 亀屋・寝室にて

ガバッツ‼

「はぁ……またこの夢か……」


男は夢を見ていた……。それは子どもの頃に父親から聞かされた昔話の夢だった……。


「何だっけな~? 美味しさの魔法って……。ダメだ……壺の話のインパクトが強すぎて思い出せない‼」

 男の名は元太(げんた)。代々続く老舗の煎餅屋、❝亀屋❞の後継ぎである。


「まあいいさ。俺は俺の味を追求して……必ず父ちゃんを追い越してやる‼」


 そう言うと彼は再び布団を被った。……その時だった‼


「元太っつ! 大変よ! 父ちゃん車で事故して……危篤だって‼」

 母から知らされた突然の出来事に、元太は再び布団から跳ね起きた!

 元太は、父親の厳蔵(げんぞう)といつも喧嘩ばかりしていた。
 実は元太は若くして既に❝美味しいと思える煎餅❞を作り出していた。しかし厳蔵はその味を否定し続けた。❝自分の味❞ではなく、代々続くこの味を守ることこそ客を離れさせない秘訣なのだと……。最もな意見ではあるが元太としては、お年寄りばかりが店に来る現状を打開したかった。だからこそ彼は❝自分の味❞を追求する事で若い層にも支持される煎餅を売り出そうと努力していたのだが、それを父が認めることはなかったのだ。

 そんな父親に元太は度々酷い言葉をぶつけてきた……。しかしその父が危篤と知り、元太はいてもたってもいられなかった。

 喧嘩ばかりだったが、せめて最期に感謝の言葉だけでも伝えたい! そう思い、彼は病院へと急行するのだった……。


◆病院にて

「父ちゃん! 父ちゃん‼」


 厳蔵は担架に揺られながら手術室へ向かっていた。それに追い付いた元太はその横を走りながら話しかけた。


「父ちゃん! 今まですまなかった! 意地ばっか張って酷いこと言って! 父ちゃん! 父ちゃん‼」


その時、厳蔵の意識は既に途切れようとしていた……。だが最後の力を振り絞ると、厳蔵は元太にある事を呟いた。


「げん……た……」

「父ちゃん! 父ちゃん! しっかり‼」

「げん……た……壺を……」

「……えっ⁉」

「壺……を……守ってくれ……」

「え……? 何言ってんだよこんな時に! 父ちゃん‼ 父ちゃぁぁぁああああああああん‼」


 こうして手術室に消えて行った厳蔵は、その日帰らぬ人となった……。


◆亀屋にて

 元太が病院に着いた頃、亀屋にある男が忍び込んでいた……。その男は家中を物色し一つの壺を見つけるとそれを手に取った。その壺には無数のお札が貼られており、まるで何かを封印しているかの様だった。そして男は無数に貼り付いていたそれをビリビリと破り捨てるとその場を後にしたのだった……。その男の首の周りにはぐるりと一周❝赤い傷❞が付いていた……。


◆陰陽庵


 所変わってここは蕎麦屋❝陰陽庵❞の出入り口。久々に店の戸を叩いたエンをバンが迎え入れた。

「よーうエン! 久しぶりじゃないか!」


「バンさんお久しぶりです! あの……最近なんか事件、起こったりしてませんか?」

「そうだな~。最近はご無沙汰かな? まぁいいから中に入って蕎麦食べて行けよ!」

「いや……今日はここでいいです」

「ん? どうして?」

「…………」

「そうか……ハヤトだな……」


 エンは少し前のテレビ局の一件以来、ハヤトに会う事をためらっていた。それは『俺たちには関わるな』というハヤトの言葉が、心につっかえていたからである……。


「まぁいいさ! 気持ちが落ち着いたらまたいずれ会いに来ればいい。その代わり……今日は俺の作った煎餅でも食べて行けよ」


「え⁉ バンさんって煎餅も作れるんですか⁉」

「おう! 俺は何だって作れるぞ!」


 バンはナイトメアバスターズのメカニック担当。❝何かを作り出す❞ことでハヤトをサポートしている。そしてそれは食に関しても例外ではなかった。


「やったーーーー! 僕、お煎餅大好物なんです‼」

「そうかぁ! 俺のは美味いぞ~~! 名付けて『白毫煎餅』だ!」

「びゃくごうせんべい! まんまですね!」


 確かにそれは、エンやハヤトの額に現れる白毫と同じような❝三つ巴❞の模様の焼き印が入っていた。そしてどうやら陰陽庵は、最近煎餅の店頭販売も開始したようだ。店先にはそれを売るための小窓が設けられ、すぐに食べられるよう外には腰掛けが用意されていた。バンはその小窓から煎餅とお茶を差し出すと、エンは腰掛に座ってバリバリと食べ始めた。


「はわわわ! バンさん! これ凄くおいしいです!」

「そうか! そりゃ良かった! しっかしお前、煎餅とお茶が好きなんて……若年寄だな~」

「だって……好きなんですもん!」

「ははは!」


 そう言うと再びエンは煎餅を美味しそうに頬張った。そんな中、彼はふとある事に気が付きそれをバンに訴えた。

「ねぇバンさん……」

「ん? どうした?」

「この味……亀屋の煎餅に凄く似てる……」

「ん? かめや?」

「はい! 僕が一番好きな煎餅の店なんですけど、その味にそっくりなんです……」

「そうか! そいつは良かった!」

「……」

「……ん? どうした美味しいんだろ? ……何でそんな悲しい顔してるんだよ」

「いや……実は最近亀屋の味、昔と全然変わっちゃって……」

「そうか……。はは!だったらウチに食べに来ればいいさ!」

「はい……でもなぁ……。」

 そこまで言うとエンはある事を思いつきバンに尋ねてみた。

「あの! バンさん! 最近事件無いんですよね⁉」

「ああ、そうだな……どうした?」

「お願いです! 僕にちょっと付き合ってくれませんか??」

 そう言うとエンはバンに車を回させた。バンに亀屋の煎餅の味を確かめさせようとしたのだ。そしてバンはそれを拒まなかった。同じ❝調理人❞として勉強になることもあるだろうと、快くエンと亀屋に向かうのだった……。


◆亀屋

「いらっしゃいませ~。」

「あ! 元太さんお久しぶりです!」

「あぁ! エンくんか! 久しぶりですね!」

「どうも、初めまして」

「あれ? そちらの方は?」


 エンは店に来た訳を矢継ぎ早に話すと、元太は厳かに語りだした。


「そうですか……いや……実は……」


 元太は最近父親が亡くなってしまった事、そしてその父親の味を再現できず❝自分の味❞を追求している現状を聞かせたのである。


「……そういう事だったんですね……」

「なるほどなぁ……」
 
 エンもバンも納得した。


「私は、若い人たちにもウチの店に来てほしいと思って頑張っているんですが……。最近はそれどころか常連さんも寄り付かなくなってしまって……」

「ですよね……この味じゃ……」

 思わず口が滑るエンに突っ込みを入れるバン。

「おい。ストレート過ぎるだろそれは……」

 そんな二人に元太は答えた。

「……いいんです。私も分かってますから。父さんの煎餅は確かに美味しかった……。あ! でも最近作ったこの煎餅は自信作なんです! ちょっと食べてみてくれませんか⁉」


 そう言うと元太は二人にその煎餅を差し出し食べさせた!


バリッ……ボリッ……


「ど、どうです? ……美味しいでしょ⁉」


 元太は自信満々だった。ところが……


「う~ん……元太さんごめんなさい……。僕、やっぱり前の味が好きです……」

「そ……そうですか……」

 バンも答える。

「前の味は知らないが、俺もこの煎餅はちょっと……。ラムネとミントって感じかぁ……? 何と言うか斬新過ぎるな」

「あ! 気が付きました⁉ 若い人にも食べて欲しくて、色々工夫してみたんです‼」

「そうか……なぁ、ちょっと他の煎餅も食べさせてくれないか?」

「はい! もちろんです!」


 そう言うと元太は、バンに店の煎餅を一通り食べさせた。


「ど……どうです……?」

「う~ん……。店の為と思って、気を悪くしないで聞いてくれるか?」

「は……はい……」

「この店の煎餅……❝決定的に足りないもの❞がある……」

「そ……それは……一体何ですか⁉」

「いやいや! それを言ったら調理人として簡単に手の内を明かすようなもんだ! それは……自分で見つけたほうがいい……」

「そうですか……」

「そうだエン」

「え⁉ ……何です?」

「俺の煎餅、昔のこの店の味に似てるんだよな?」

「はい! 凄く似ています」

「そ、それは本当ですか⁉」

「はい、ビックリするぐらいそっくりですよ!」

「元太くん……俺の煎餅一枚置いていくからさ……参考にしてみるといい」

「え⁉ 良いんですか⁉ ありがとうございます!」


 元太は早速その煎餅を食べると、「確かに」と言いながら頷いた。


「じゃ、同じ❝調理人❞として応援してるから、頑張ってくれ!」

「はい! ありがとうございます!」

「よ~しエン。帰るか」

「あ、バンさん! 僕……ちょっとここに残ります」

「え?」

「今ゴールデンウィークで学校休みだし、元太さんに付き合って昔の味を一緒に思い出してみたいんです!」

「ほ、ホントですか⁉ エン君それは助かります! 君は父さんの味、しっかり覚えてるみたいですからね!」

「はいっ‼」


 こうしてその日からエンはこの店に入りびたり、元太と共に❝亀屋の味奪還作戦❞を開始したのだった!



「この味! どうです⁉」

「う~~ん……塩加減が足りないかな……」


「じゃぁ……これは⁉」

「うぇええ! これはしょっぱ過ぎます!」

「じゃぁこれなら⁉」


 そうこうしながら日は過ぎていった。エンは何度か陰陽庵にも訪れ、バンから煎餅を貰って来ては元太と二人でその味を研究した。しかし何度やってもその味は再現できず、とうとう陰陽庵側の煎餅の材料が一時的に底をついてしまう程となった。


◆亀屋

「どうですこれは!? 」

「……違います……」


「ダメだ……何度やってもあの味にならない……」

「どうしてですかね……。もうちょっとだと思うんですけど……」

「くそ……❝決定的に足りないもの❞って一体何なんだ‼」


 この日もその味は再現できず、とうとう元太はうなだれ机に突っ伏してしまった。


「元太さん……」


 エンがそう呟いた時だった。エンがあることに気付いた。

「(何だこれ…邪気を感じる!)」


 店の一角から不穏な邪気を感じ取ったのだ。


「? エン君……どうかしましたか?」


 元太は突然眉間にしわを寄せ始めたエンを不思議に思って問いかけた。


「……元太さん。ちょっとあそこの戸棚……開けてもいいですか?」

「え? いいですけど……そこには何もありませんよ?」


 しかしエンはその戸棚の奥から確実に邪気を感じ取っていた。だからこそ迷うことなくその戸棚を開けてみた。


「ほら……何もないでしよ?」


 元太の言う通り確かにそこには何もなかった……。だがエンはその戸棚の更に奥に小さな取っ手がついているのを見つけ、元太にそれを訴えた。


「こ、これは! 隠し扉ですか⁉」


 エンは何も言わずにその扉を開けてみた。


ギィィイイイイ……


 するとそこには、全体にびっしりとお札が貼られた❝壺❞が置かれてあった! 元太は思わず大声を出す。

「こ、これはっ⁉」

「(この壺……凄い邪気を放ってる……)元太さん! これ……何か知ってますか?」


 エンがそう言うと、元太は突然血相を変えて呟いた。


「……エン君ありがとう。……今日はもう帰っていいよ……」

「……え?」

「……ありがとう、私……父さんの味……思い出したかもしれません」

「え⁉ ホントですか⁉」

「うん……だから……今日はもう帰ってくれ」

「わ、分かり…ました……」


 邪気を放つ壺の事が気になったがエンは元太のあまりの雰囲気の変わり様に驚き、この日は一先ず帰宅する事にした……。

 元太はその壺が何なのかを知っていた。壺の中は思った通り黒い水で満たされていた。父親から聞いた昔話……もしそれが本当なら……。元太はその水に煎餅を浸すと、試しにそれを口へと運んだ……。


「や……やっぱり! とてつもなく美味しい‼」


 そして次の日から、元太はこの黒い水に浸した煎餅を販売し始めたのだった。昔話の忠告を無視したまま……。


◆陰陽庵にて

「おうエンか! ごめんな、まだ材料届いてなくて……」

「いや、バンさん……今日はちょっと聞きたい事があるんです……」

「ん? どうした?」

「あの……」


 そう言うとエンは、亀屋で見たあの❝壺❞の事を尋ねてみた。


「さぁ……分からんな」

「そうですよね……」


 バンは除霊屋としての知識を総動員して考えたが、その❝壺❞の事は知らなかった。そしてその会話を遮るように、突然店の中から大きな声がした!


「おいバン‼ 依頼だ‼」


 久々にナイトメアバスターズへの依頼の電話が入ったのだ!


「あ! 僕も行きます‼」


 ハヤトに断られると思いながらも訴えるエン。しかし拒否したのは意外にもバンだった。それには理由があった……。


 「エン、お前の言った壺、邪気を放ってたんだよな? ……なら一つ相談なんだが、お前はそっちの案件を調べてみてくれないか?」

「そ……そうですね! 分かりました」


そう言うとエンは再び亀屋に向かって出かけて行った。


◆亀屋

ガヤガヤガヤ


 その日亀屋には行列ができていた。そう、あの水を使った煎餅は元太の思惑通り、多くの客を店に呼び込んでいたのだ。


「おーい! もっとくれ!」

「私も! 私にも!」


「はいはい! 今出しますからね~~!」


 大盛況だった。いつもの様に亀屋にやって来たエンは、その光景を見て感動した。


「(うわ~凄い! 元太さん本当にあの味思い出したんだ‼)」

 元太は大忙しであった。そして嬉しかった。未だかつて亀屋がこれだけ繁盛したことはない。「遂に父を超えた」とすら思えた。……するとその時だった。


「はいいらっしゃいま……あれ? あなたこの行列に並ばれてもう三回目ですよね?」


「う……うるさい……いいから出せ! 早く俺にそれを喰わせろ‼」


「⁉」


 その男は元太に煎餅をせがんで来たかと思うと、突然正気を失ったかのように白目をむき始めた!

 そしてそうなる人間はその男だけではなかった。行列に並んでいた全ての人間が次々と、彼のように正気を失い白目をむいて唸り始めたのだ!


「こ、これはまさか……壺の呪い⁉」


 元太はひと時の夢心地に壺の呪いの事を忘れていた! しかし客のその姿を見た瞬間一気にその記憶が甦ったのだが時既に遅かった。


グォォオオオオオ‼


 煎餅の味に魅せられ正気を失った人間達が束になって店内に押し入ってきたのである!


「ちょっと止めてくだやい‼ 出てってください‼」


しかし元太のその訴えは誰の耳には届いていなかった。そしてとうとうその中の一人があの❝壺❞を見つけると、皆がそれに群がり中の水をすすり始めたのだ!


「止めてください! 止めてください! もう私はこんな煎餅作りません! 帰ってください! 帰って下さい!」


 必死に訴える元太であったが、客達にその声が届く様子は一切なかった。するとその時、突如元太の耳元で何者かの声がした!


『止めさせない……止めさせないぞ……オマエは煎餅を作り続けるのだ……私のために!』


「うわぁっつ‼」


 すると突然! 壺の水が大きな黒い塊となって元太の体に張り付いたではないか! とうとう壺の邪気が元太自身に乗り移ってしまったのだ!!


「うわぁぁぁぁあああああああああああああああああ‼‼」

「(やっぱりあの壺……呪いがかかってたんだ!)元太さん! 今助けます‼」

 その一部始終を目撃していたエンは、咄嗟に陣羽織を羽織るとセルガイアを覚醒させた!

「開眼っつ‼」


 ……元太は正気を失いかけていた。そしてその口から発せられた言葉は最早元太自身のものではなかった!


『黙れ……黙れ……! 我は長きに渡る空腹からようやく解き放たれたのだ! こ奴にはこれからも煎餅を作らせ続けるぅぅうぁ……そしてそれを食して肥えた人間をぉお、我が食料とするのだぁぁぁああ!』

「⁉ そ、そんな事はさせない!」

「エン君……助けて……『お前は黙っておれぇぇええ‼』」

 陣羽織を着る瞬間を見ていた元太は、目の前の戦士がエンであると分かっていた。

「……私が……バカでした……。これが呪いの壺だと……知りながら……私は……私は……」

「元太さん!」

「もう……こんな事はしません……! 私は……自分の力であの味を……取り戻します……だから『黙れと言っておる!』だから……だずけで……」


「も! もちろんです!」


 エンは元太の体に張り付いた黒い水を切りつけようと飛びかかった! ところが!


グォオオオオオオ!


 何と店内に群がる大勢の人間が元太の体を取り囲み、彼を護るの盾となったのだ!


「(くそっ! これじゃ近づけない!)」

『ふはははは! そうだ民よ、我を守るのだ! さすれば貴様らに……もっとタラフクあの味を喰らわせてくれるわぁぁ……‼』


グォオオオォオオォ……


 人々は更に元太の周りに密集した!


「くそ! だめだ! これじゃ元太さんを救えない!」

『ははははははは……』


 エンは絶望した。あの水さえ元太から切り離せば事は済む。そう思ったのだがそれは浅はかだった。まさかその呪いに知性があるとは……。しかも、手にした刀で元太の盾となった人達を斬ることなど絶対にできはしない!


「(くそ! どうすれば⁉ バンさん……ハヤトさん……‼)」


 この場にあの二人がいてくれたら……。しかし、彼らは今別の依頼を受けている……。エンは目の前が真っ暗になった。……その時だった‼


ジャクウンバンコクソワカっ‼


 辺りに何者かの声が響いた!


「ば……ばっちゃ!」


 そこに現れたのは八雲であった! そこいる人達や元太の動きを❝真言❞で一時的に封じたのだ!


「エン! しっかりするんじゃ!」

「ばっちゃありがとう! でもどうしてここに⁉」

「強い邪気を辿って来たらココだったというだけじゃ。それよりエン、この邪気……呪いの壺じゃな?」

「し、知ってるの?」

「ああ、昔からの言い伝えでの。万が一壺の封印が解けてしまった時の事を考え、ワシはずっと気にかけておったんじゃ……」

「そうだったんだ! ……でもこの状況、一体どうすれば⁉」

「うむ……状況は最悪じゃ。この者が壺の水を使ってこしらえた煎餅を食した人間は、どうやらここにおるだけではないようじゃ……。今、町の至る所で正気を失った人間が徘徊しだしておる。」

「⁉」

「その状況を打開するには白毫使いの力ではどうにもならん!」

「そんな⁉ どうして⁉」

「❝白毫神器❞は魔物にのみ有効……。呪いを解く力は……無いのじゃ……」

「なら……どうすれば⁉」

「エンよ、あの男……何か悩みを抱えてはおらんかったか?」

「悩み……?」

「そうじゃ。あの男が壺の邪気と同調し一体化したのなら、それ相応の邪念がある筈なんじゃ」

「あ、ああ! あるよ! 元太さんずっと悩んでたんだ! お父さんの煎餅の味を思い出せないって」

「そうか……ならばその悩みを解消してやるしかないのぉ……」

「でも、僕がずっと協力してその味を思い出させようとしてたけど、全然できなかったんだ!」

「なんと! そうであったか……。これは本当に困ったのぅ……」

「そんな……ばっちゃ⁉」


 駆け付けてくれた八雲にすがるエンであったが、八雲にもその解決策が思いつかなかった。「助けられない」そんな言葉が頭をよぎったのだが……エンは諦めなかった!


「ばっちゃ、ありがとう。解決の仕方教えてくれて……僕……やってみるよ!」

「お、オヌシ……何か考えが浮かんだのか⁉」

「うん……本当に解決できるかは分からない、でもやらずに諦めたくないんだ!」

「エン……」

「ばっちゃ! ちょっとここで待ってて!!僕……バンさんの煎餅取ってくる!」


「エン! それは……一体どういう……⁉」


 八雲が言い終わらぬうちにエンはその場から走り出していた! 
 エンには考えがあった。もう一度元太にあの煎餅の味を届ければ……今度こそその味を思い出してくれるはず!これは、イチかバチかの賭けであった。

 街の中を走る抜けると八雲の言う通り、そこかしこに煎餅を食し正気を失った人間達が徘徊していた。それだけではない。その者達はエンの存在に気が付くと、追いかけ攻撃を仕掛けてきたのだ!


「くそっ!」


 どうやらその人間たちの意志は壺の呪いと同調しているようだった。しかし人間を斬る訳にはいかない! エンは跳躍の能力を使って建物の上を飛び移りながら、とうとう陰陽庵までたどり着いた。


◆陰陽庵

「はぁ……はぁ……着いた……」


 エンは入り口の戸を開けようとした……ところが扉には鍵がかかっていた。


「(しまったー! 二人とも別の依頼で出掛けてるんだった! せっかくここまでたどり着いたのに……何とかして入れないかな……⁉)」


 するとエンはある事を思い出した!


「そうだ! 煎餅の小窓!」


 エンは最後の望みを託し、イチかバチか煎餅販売用の子窓を開けてみた。すると……


「やった! 開いてる‼」

 不用心だが幸いにもそこが開いていた! あまりにも小さな入り口から入って来るものなどいないと考えていたのか……。不幸中の幸い、エンの小さな身体はそこからの侵入を可能にした!


「(よし! ……ほんのかけらでもいいんだ、煎餅……残ってないかな…)」


 辺りに目を凝らすと、焼き器の下にお札の張られた段ボールを見つけた。おもむろにその蓋を開けてみるとそこには……


「あった!」

 大量の煎餅が袋詰めになって入っていた!


「良かった! 材料届いてたんだ‼」


そう言うとエンは踵を返し、再び現場へと急行した!


◆再び陰陽庵

 それから少し経ち、陰陽庵に仕事を終えたハヤトとバンが帰宅した。


「あぁー疲れたーー! バン、悪いけど俺先に寝るわ」

「了解だ。俺は明日の仕込みしたら寝るよ……」


 そう言うとバンはふと焼き器の下に目をやり驚いた。


「なっ⁉」

「どうしたバン⁉」

「白毫煎餅が……無くなってる……」

「は⁉ 泥棒か‼」

「いや……そうか……きっとエンだ……」

「何っ⁉」

「あいつ、最近俺の煎餅欲しがってたからな……」

「どうして⁉」

「ある人に食べさせてたんだよ……」

「何だって⁉ おい、バン! ここにあった煎餅……呪術はかけ終わってたのか⁉」

「ああ……終わってた……」

「ならもしエンがそれをそいつに食べさせたら……」

「……どこまで記憶が消えるか分からない……」

「っ‼」

 そう、白毫煎餅は陰陽庵の土産物というだけでなくもう一つ用途がある。人の記憶を消すという使い道が……。バスターズが呪いをかけた煎餅は人の記憶を消す作用を発揮するようになる。ただし食べさせる相手の記憶をどこまで消すかは、煎餅を渡す側の人間の意思による。しかし煎餅の効果を知らないエンが元太にそれを食べさせてしまっては、何をどこまで忘れさせてしまうか分からないのだ!


「となると……何もかも全ての記憶が消える可能性が……」


「あぁ、無いとは言い切れん」

「またかよエン……あのヤロぉぉぉぉおおっつ‼」


 ハヤトは額に手をやり苦悶の表情を浮かべた。その時だった!


ウィーンウィーンウィーン……


 バンの携帯が鳴った。


「ハヤト! 凄まじい邪気の反応だ!」

「くそっ! こんな時に!」

「待ってくれ! ここは……亀屋だ! もしかしたらエンがいるかもしれない……」

「は⁉ どういう事だよ何が起こってる⁉」

「あいつ……魔物と戦ってるのかも……」

「あーーもう何でもいいっ! とにかく行くぞ!」

「お…おう!」


 こうしてハヤトとバンはエンの後を追い亀屋に向かって車を走らせた!


「くそ! 何であいつはいつももいつもやらかしてくれるんだ⁉」

「いや、アイツは煎餅の事を知らなかったんだ仕方ない!」

「だからって、いつもじゃねーか! だから俺はあいつを迎え入れたくないんだよ!」

「ハヤト……気持ちは分かるが、今回は俺の責任だ。小窓に鍵をかけ忘れたのも俺だしな……今度オートロック機能開発しとくから……」

「いーや違う! あいつはもうトラブルメーカーって言うか……そういう体質なんだよ!」

「そこまで言うか……」

「とにかく早く行くぞ! 何かと戦ってるなら尚更だ!」

「おおっ‼」


 バンが意気込んだその時だった!


「こっ、これは⁉」

「どうしたバン⁉」

「ちょっとこれ見てくれ……」


 そう言ってバンはカーナビを指さした。


「こ、これは……邪気が……消えた⁉」


 二人は首を傾げながら車を走らせ、とうとう亀屋へと辿り着いた……。

◆亀屋

 そこにはエンとヤクモ……そして涙を流しながら煎餅を頬ばる元太がいた。


「あ! バンさん! ……‼ ハヤトさん……」

「エン! お前また……!」

「ハヤト、ちょっと待ってくれ」


 バンはエンを叱責しようとするハヤトを遮った。


「エン……一体何があった」

「う、うん……僕、呪いのかかった壺に憑りつかれた元太さんを元に戻そうと思って、バンさんの煎餅を食べさせたんです……味を……思い出してくれたら良いなと思って……。悩みが消えたら呪いも解けるってばっちゃから聞いたんです!」

「そうだったか……」

「そしたら元太さん……突然号泣しだしたかと思うと何も話してくれなくなっちゃって……」

 そこに再びハヤトが割って入った。

「遅かったか……。いいかエン、お前が食べさせたのは人の記憶を消す煎餅なんだよ!」

「えっ⁉」

 バンも続ける。

「あぁ。俺たちはそれを使って、世間から隠れながら戦っていたんだ。」

「そんな……じゃぁ元太さん……さっきまで何があったのか全然分からないんですか⁉」

 それに対してハヤトが返す。

「それで済むならまだいいが……一体どこまで覚えているか……」

 そしてヤクモもこの事態を理解した。

「うぅむ……そういう事じゃったか……」

 肩を落とす一同……。しかしその時だった。突然元太が皆の方に顔を向けたかと思うと、大粒の涙をこぼしながらも嬉しそうに話し始めた。

「エンくん……皆さん……ありがとうございます!」

「元太さん⁉ 僕の事……覚えてるんですか⁉」

「はい! もちろんです! というか、私は何一つ忘れてなんかいませんよ! 何一つ!」


 その言葉に、ハヤトとバンは驚いた。


「な⁉ どういう事だ? バン! 呪いは本当にかけてあったんだよな⁉」


「ああ、確かにかけた!」


 そんな二人に対して元太は話を進めた。


「私、エンくんに貰ったこの煎餅を食べた途端、どんどん色んな事が思い出せなくなったんです。……それで一度私の記憶は子どもの頃にまで遡ったんです! でもその後一気に今日までの事、思い出したんですよ!」

「何だって⁉」

 その言葉に再びハヤトは喫驚した。その筈だ。呪いをかけたバスターズを介さずにそれが解ける事など通常はあり得ないからである。……そして元太は再び話を続けた。


「そのおかげで! 私はずっと忘れていた大切な事を思い出せたんです!」

「大切な……事?」

 バンが問いかけた。それに対して元太は、涙でぐしゃぐしゃな顔を両腕で拭いながら話を続けた


「私はいつも父さんと煎餅の味について言い争っていました……。父は『昔ながらの味をみんな美味しいと言ってくれるんだ』と言い、私はそれに対して『時代にあった味にしないとダメなんだ』っていつも喧嘩してました……。でもそれは今思えば、父の味に近づくことのできない自分への言い訳でした……。そして私はその味の秘密を教えてくれない父と争う事で憂さを晴らしていたんです」

 バン会話を続ける。

「父さん……職人だったんだな……。味は盗めって事だな」

「だけど今日……この煎餅を食べたら、父が子どもの頃に教えてくれた❝美味しさの魔法❞をやっと思い出したんです!」

「❝美味しさの魔法❞……それは一体……」

「はい、それは……」

◆過去


「だから父ちゃんの作る煎餅は世界一美味しいんだな!」

「ははは! ありがとな! でも俺はその壺の水なんか使ってないぞ! だってこの話は、その壺を見つけても使っちゃいけないって教えなんだから」

「じゃぁどうして……?」

「はっはっは。いいか父ちゃんはな……美味しさの魔法を知ってるんだ。それはな……『美味しいって言ってくれる人の顔を思い浮かべて作ることさ……』」


………………
…………
……


◆再び現在

 元太は話を続けた。

「私の父は子どもの頃に家出したそうです……それは、母親の作る料理が不味かったからだそうなんです……。そんな父はその時の事をこんな風に話してくれました」


『元太……それから俺は何日か河原の雑草を食べながら飢えをしのいだんだがそのマズイのなんのったら、もう酷かったぞ! そんな時とうとう母ちゃんが俺を見つけて連れ帰ったんだ。そして母ちゃんは腹を空かせた俺に食事を出してくれた。そして『お前の喜ぶ顔を見たいから一生懸命作ったの。こんな味でごめんね。』って言ったんだ。でもその時俺は、いつもと変わらないはずの母ちゃんのその手料理が世界一美味しいと思ったんだ……‼』

『父ちゃん……』

『そんときゃみっともねぇけど泣いちまったぜ! ははは! ……で、その時俺は決めたんだ! 俺は誰かに美味しいって言ってもらうために煎餅を作るぞって!』


………………
…………
……


「だから父さんの煎餅は美味しかったんです! 片や私は食べてくれる人の事なんて、ちっとも考えていませんでした……。私はいつも私が美味しいと思う味を押し付けようとしていた! 若い人たちに❝食べさせよう❞なんて……ただの押し付けだったんです! だから私は父さんの味に近づくことができなかったんです!」


 そんな元太にエンが歩み寄った。

「元太さん……」


「エン君……本当に……本当にありがとうございました! こんなにおいしいお煎餅が食べられたから、私は思い出せたんです!」

 そこにヤクモが割って入った。

「そうじゃな……この煎餅はお前に美味しさを届けたいと懸命に走ったエンの心がこもっておる……じゃから美味いんじゃろぅ……」

 それに対しハヤトが驚きながら口を開いた。

「そんな‼ コイツが煎餅の呪いを捻じ曲げたって言うのか⁉」 

 バンが言い返す。

「……いやハヤト捻じ曲げたんじゃない。俺は納得だ。どこまで記憶が消えるかは渡す側の意思で決まる……。エンは煎餅の使い方を知らずとも、何とかしたいという❝強い想い❞でこの結果を導いたんだ」

「……図らずも功を奏したという訳か……」

 そして再び元太は謝辞を述べた。

「本当に……本当にみなさんありがとうございました! 今日から私は、食べていただける皆さんの美味しいそうな顔を思い浮かべながらお煎餅を作ってみます!」

「うむ……それがよかろう……。この壺はワシの手で改めて厳重に封印しておくでの……」

 見事事件を解決させたエン。そんな彼の姿をハヤトはほんの僅か感心する様な眼差しで見つめていた。そしてこの日を境に、亀屋はかつての味を取り戻したのだった……。


◆数日後・陰陽庵にて

 バンとエンが会話していた。

「良かったな~。亀屋の味が元に戻って!」

「はい! ……でも正直一時はどうなるかと思いました……」

「そうだろうなぁ……。でもまあ結局お前の❝やらかし❞が成功に繋がっちまうんだから。ホント面白い奴だよ」

「あ、あはは……。いや~でもやっぱりバンさんの煎餅も亀屋に負けずおとらず本当に美味しいですね!」

「……へへっ。ありがとな!」

「バンさんが元太さんに話した決定的に足りなかったものも、❝食べてくれる人の美味しい顔を想像しながら作る❞って事だったんですね!」

「え、あ……まぁ……それもそうだが……」

「え? 何でそんな急に声が小さくなるんです?」

「い、いや。俺はなぁ……」


「はい?」


「その……なんだ……。えっと……隠し味にな……❝ハチミツ❞を入れてるんだよ」

「あぎゃーーーっつ‼️ そんな事かーーーーーっ‼」

 こんな日常のやり取りに僅かばかりの平穏を感じる二人……。その光景を店外で、❝首に傷の男❞がほくそ笑みながら見つめている事など知る由もなかった……。


つづく!


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